​「道場の作法122020年1月

​開祖が残された心得に「心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし」とあります。どんな相手にも真心をもって接することの出来る人の事です。苦しい時も自己を律して真心を持ち続ける強さを持った人になる一生の修行、向上心を持って歩み続けましょう。

​「道場の作法132020年2月

​威(い)あって猛(たけ)からず、(威厳があってしかも内に情があり、猛々しくない)

掃除は「備え」と「威」にかかわる重要な練習の一環で、付帯作業ではありません。稽古の始めと終わりの掃除を徹底します。

​「道場の作法182020年10月

礼とは何でしょうか、古くは、飛鳥時代の17条の憲法第 4 条に 礼を以て本とせよ と 記載されています。「民を治める本質は礼である」。つまり上に礼が無い時には下は従わないし、下に礼が 無い時は必ず犯罪が起きる。上下に礼がある時には国家というのはおのずと治まるのだということです 礼法も心を整えるもの、残心とは無心が続き隙を作らぬこと、良き明日に向かって。

​「春水たより17より 2020年11月

「根なき樹に花は咲かない」といいます。根の張っていない草木は台風が来たときに吹き 飛ばされてしまうように、今回のコロナ禍のような事態が降りかかってきた時に根のない 人や組織は生き残れません。人間は時として自分自身を見失うことがある。そういう時はま ず冷静さを取り戻して、客観的に自分を見ることが重要だよと。そうすれば生きているだけ で百点、命があるだけで何と有り難いことか。木々の葉は彩づき木枯らしの冬がやって来る が、地中では来春のため根を養っています。コロナ禍で稽古が出来ない時に大切なことは、 「問う」ことだと思います。鉢に入って留まってしまうと、それ以上は問えないので、小さ く収まるなと。常に問い続けることが根を養うことなのです。 極意を得たかどうかは重要なのではない。生を終えるときに自分なりに果たし終えた人 が立派なのです。今後も自分という人間の根を養って生きていきたいものです。

​「春水たより18より 2020年11月

   年初より新型コロナウイルスの危機に直面していまだ終息の気配もありませんが、日本は欧米 に比べて致死率が圧倒的に低くなっています。 ノーベル生理学・医学賞受賞者大村智氏は何がどのように作用したのか分りませんがと、治療薬 を見つける研究者という立場から次のことが見えてきましたと述べられています。

一般的によくいわれている、三密状態(密閉、密集、密接)の除去がうまくいっていること、日 常生活の衛生状態が良いこと、保険制度や医療機関が充実していることに加えて和食の有効性 について指摘されています。

1,和食や漢方薬はリグニンと呼ばれる成分が含まれていて、これ は体内の不要な鉄を除去、制御する働きがある、体内の不用な鉄分は、人間が免疫を保つのに欠 かせない亜鉛を減少させる働きが有り、和食でリグニンを摂取する事でその減少を食い止める ことが出来る。

2,次に、これはまだ仮説ですが、日本人の BCG 接種率の高さも新型コロナウ イルスの発症を抑える一因となっているといわれています。世界規模で見ても、結核に罹る割合 が高い日本や韓国などアジア諸国では BCG の摂取率が高く、反対にイギリスや欧米では低い。 そのことは新型コロナウイルスの死亡者数とも関連しているということです。

3,最後に PAK 遮 蔽(しゃへい)ということについて触れています。体内にウィルスやバクテリアが入ってくると、 その働きを促す悪いタンパク質(PAK)が体内で発生し、免疫系を壊してしまう。これを防ぐの に効果的なのが日本人が好んで口にする野菜や海藻です。

  大村先生はイベルメクチンの開発でノーベル賞を受賞されました。世界中のペットや牛、羊な どの家畜が飲んで助かりました。1987年からこれが人にも使えるようになりオンコセルカ 症(河川盲目症)、リンパ系フィラリア症、疥癬という皮膚病の塗料薬となり、世界中で4億人 の命が救われました。

   大村先生がノーベル賞を受賞した際のレクチャー論文の中に「ウイルスに効く」と言うことが 紹介され、多くの研究者はそれを知っていました。 3月29日ウイルス学専門誌で発表されたオーストラリア・モナシュ大学のキリ・M・グスタ フ教授による「イベルメクチンが新型コロナウイルスの細胞レベルでの増殖を阻害する」という 内容の論文。 4月にはアメリカハーバード大学医学部のマンデイブ・R・メヘラ教授などによるイベルメク チンの有用性に関する論文が発表され、イベルメクチンによって著しく感染者の致死率下がっ たとするデータが示される。 6月には、アメリカフロリダ州のブロワード・ヘルス病院で入院患者の致死率を40%カット したとするデータが発表された。現在ではアメリカ合衆国、アルゼンチン、イスラエル、イラク、 インド、エジプト、バングラデシュ、フランス、ブラジル、メキシコなどの国々の30カ所以上 の医療機関で、正式に医師主導の治療・臨床研究が行われている。 8月28日発表されたエジプトのザガジク大学が行った臨床研究の結果、新型コロナウイル スの患者と密接な接触があった304人のうち、イベルメクチンを投与したのが203人で、発 症者は15人(7,4%)でした。一方、投与しなかった101人では59人(58,4%)が発症して います(共に14日以内) カナダのある特別養護老人ホームの一つのフロアで疥癬が広まった時、そのフロアの全員に イベルメクチンを投与しました。すると、そのフロアのお年寄りだけ新型コロナウイルスの 感染者がいなかったというんです。他のフロアではたくさんの感染者が出ているにも拘わ らず、です。

  大村先生の北里研究所でもデータを集めイベルメクチンの持つ大きな可能性を 感じているそうです。なにしろ、一錠700円程度で値段が安い、毎年何億人という人が飲 むことが出来る、しかも副作用もなく、医師や看護師の手を要しません。 とはいうものの、完全な克服は出来ないとのお考えで、いまはウイルスと上手に付き合っ ていくことが大事と述べられています。ならばこのウィズ・コロナの時代に私たちはどうい うことを心掛けていけばよいのでしょうか。 大村先生は特別に難しいことではありません。

1,生活リズムを整える、

2,きちんと食 事を摂って体力をつける、

3,手を洗う、

4,マスクをするといった当たり前のことを油断 なくきちんとやることが大事でしょうね。とのことです。

   また、北里先生は油断と言うこと に加えて「これからも次々と感染症は襲ってくるが、正しい知識のもとに行動していれば恐 れることはない」ともいわれました。先生はペスト菌の発見に決して満足する事なく、これ をいかに防ぐかの啓蒙活動にとても力を入れておられました。その点、いまの新型コロナウ イルスは、メディアが異常に恐怖心を煽っているように思います。日本での結核患者を例に とると、2018年、15,590 人が罹患して 2,204 人が亡くなっています。死者は新型コロ ナウイルスよりずっと多い。ですから「危険だ、危険だ」と騒ぎ立てるよりも、「油断しな い」「恐れない」という考えをしっかり浸透させるべきだと思います。とおっしゃっています。

    さあ、我らも「恐れない」「油断しない」、きちんと食事を摂り(和食がいい、春水たより 7 号で紹介した前田浩先生の野菜スープを飲み)合気道で生活リズムを整え謙虚になって苦 難の時を日々丹精に過ごしましょう。

​「春水たより19より 2020年11月

   子供の頃、通学の道筋に兼六公園が有り、日本武尊の銅像前の広場は格好の遊び場で、冬 は50センチも積もった雪の中で友達仲間がふた組に分かれ、組み討ちをして遊んだもの です。今は組み討ちなどの言葉も過去になり、コロナ禍で観光客の少ない冬にのぞんで昔の 素朴さを懐かしく思いだされます。

   源平時代の戦いは相手を威嚇する弓の射合いから始まり、馬に乗って敵陣に突進し斬り 合いに移行し、刀折れ矢尽きると相手を組み伏せて止めを刺す組み討ちで勝敗が決まりま した。やがて鉄砲が取り入れられ、戦も「一騎打ち」から白兵戦に変わった。徳川家康は戦 争の無い平和な世の中を求め、武士は「文武両道」により、人としての道を弁え(わきまえ)、 国(藩)を治めていこうとする生き方を「武士道」としました。鎌倉時代から明治維新までの 700 年間(1185~1867)武士が国(藩)を治めたという歴史が有り、これが日本の武道を育 てた一因でしょう。また、日本の武士が、長年にわたり国を治めることができたのは、武士 が政治・経済に精通し、人から尊敬される人格を持っていたからです。そこが日本武道の一 番の特性です。1868 年明治時代となり武士階級は消滅し、武術は衰退しましたが、嘉納治 五郎先生が講道館を創始(1882 年)し、体育(身体の鍛錬)・勝負(崩し・掛け等の科学性 の習得)・精神修養を掲げ、智・徳・体を備えた人間教育を目指しました。

   1945 年近代化に成功した日本であったが、太平洋戦争に敗れ武道は軍事訓練として使わ れたとして「武道」の名称・実技とも禁止されて再び危機に直面しました。しかし、「武道」 は体育・スポーツとして再生するという条件で、1950 年から柔道、弓道、剣道の順に学校 体育に「格技(Combative sports)」で登場しました。そして 2012 年(平成 24 年)中学校 で武道が必修化され伝統武道が見直されてきました。

 現在、日本を代表する武道は 9 種目あります。用具を使う弓道、剣道、なぎなた、銃剣道、 素手で行う柔道、空手、少林寺拳法、相撲、合気道です。いずれも自然体の姿勢から相手の姿勢を 崩して、心気力一致した「一本」を求めます。

 武道はそもそも生死を賭ける場面から出来上がったものです。武道の人間の捉え方の深 みは、競技スポーツのそれとは立脚が全く異なります。そうした日本の伝統武道の鍛錬法を 現代に生かしているのが合気道と言えましょう。合気道開祖植芝盛平翁は幾多の古武術を 修行し競技でなく、心の修養を第一要件とし、何事にも動じない自己不抜の中心を育成する 事を合気道の眼目としました。合気道には「相手を倒す」という思想はありません。もし試 合をおこなえば、必ず「勝ちたい」「相手を倒したい」という執着心が生じるでしょう。それは 天地自然の調和に反しているのです。

 武道は、技を通して克己や礼節などの精神を学び、国家や社会の平和と繁栄に貢献する人 つくりを目的としているのです。

 春水たより 18 での大村先生は述べています。人類はこれまで傲慢(ごうまん)すぎたの だと思います。自分たちの力で自然でも何でもコントロールできると、とんでもない間違っ た考えをするようになった。その結果、人間が地球環境を侵す発生源になり、地球は病気に なってしまった。異常な大きさの台風の発生や40度を超える猛暑はその象徴ですよ。私た ちはここで傲慢さを捨てて「大自然に生かしていただいている」という感謝の気持ちを取り 戻さなくてはいけません。

 また、老子の言葉から「知足者富」足(たる)を知る者は富む を引用しています。 満足する事を知る者は心豊かに暮らすことができる、という意味です。足を知ることで心は 穏やかに保たれ、一日の食事や成すべき仕事が与えられていることに感謝の念が沸いてき ます。いろいろな困難に直面しても、「あれが欲しい、これが欲しい」と欲をかかないで小 さなことにも満足していく心の習慣。ウィズ・コロナの時代に求められる一番のマインドは それではないかと思います。もう一つ付け加えれば、何事にも丹精込めて生きると言うこと が大事だと思います。と述べられています。

 我らも真摯にこの年を乗り切りましょう。

​「道場の作法192020年12月

 コロナ禍で道場稽古も儘ならぬ一年でしたが、不安にさいなまれず前向きに過ごされたことでしょう。 その時々で苦しいときや辛いことがあっても、少しでも良くあろうと合気道を求めて稽古を積み重ねていく。それが道 というものでしょう。来た道を振り返って時には必ず良い方向になってきているはずです。続けることが大きな自信、 心のゆとり、相手を思いやる気持ちへとつながっていくのでしょう。

 70歳を過ぎたお二人がそれぞれの思いで合気道を始められました。すぐに結果を求めるでなく、淡々と稽古を積み重 ね、振り返って見てああ、良い方向に来ている、「始めて良かった」「辞めなくて良かった」と思って頂ければ幸せです。

「春水たより202020年12月

 20数年以上も前でしょうか、日本を美しくする会創設者の鍵山秀三郎氏は北京の大学で トイレ掃除を学生と行ないました。

 掃除の後、学生さんから多くの質問が寄せられ、その中で次のような質問をうけました。 「私はおおきなことをやるために大学へ来て勉強しています。掃除のような誰にも顧みら れない、小さなことにこだわっていては、大きなことができないのではないでしょうか」

 そこでその学生さんに、「あなたは、大勢の人が見ている前で、道に落ちている一本の煙 草の吸い殻を拾うことができますか」と尋ねたところ、拾えないと答えました。立派な手が あってどうして拾えないのですかと聞くと、恥ずかしいからとても出来ないというのです。 この学生さんのいう通り、道に落ちている煙草の吸い殻一つ、空き缶一つ拾うのにも、相 当大きな勇気、広い心がなければできません。

 鍵山氏は毎朝、自分の会社の周辺を掃除していました。人が並んでいるバス停の前でゴミ 拾いをすることは、なんとなく気恥ずかしいものです。ましてや、その人たちの足下に落ち ている吸い殻を拾うには、相当抵抗があります。人間というのは、そうした抵抗を超えてい くことで心が鍛えられ、より成長できるのです。ですから、吸い殻を一日に少しずつでも拾 って歩けば、そのたびに大きな勇気が得られます。私は、この吸い殻や空き缶などをただ拾 うことだけが目的ではなく、日本をゴミ一つない国にしたいと思っていますが、これを小さ なことだとおもいますか、と問うと、学生さんは即座に、大きいことだと思います。といっ てくれました。小さなことでも、それを実行するには大きな勇気が要ります。ですから、道 に落ちているゴミも、日々自分を鍛えてくれる大事な条件だと考えることもできるのです。 と述べています。

 先日、各道場の掃除をしました。道場再開してから、毎回消毒液を噴射しモップで拭き取 りました。そのたびにモップはゴミやほこりで真っ黒になります。消毒液が漬いているので いいようなもののギョッとします。大掃除を終えて次の稽古日に同じく消毒してモップで 拭き取りましたが、ほとんど汚れがついていませんでした。道場も気持ちもとても爽やかに なりました。

 未来館の年長さんには窓枠や敷居をそれぞれあてがって掃除をしました。少しすると見 てみて、見てみてと呼びに来ます、おー素晴らしいといいながら隅を指先でこすりほこりを 見せると、うんーといってまた取りかかります。

 「益はなくても意味はある」無益なことは、必ずしも無意味ではなく、意味はあるという 教えです。これをやったら得をする、儲かる、すべてをこのような基準で行動しがちです。 鍵山氏は昔の日本人は貧しくあっても、恥を知り、名誉を重んじて生きてきました。ところ が、戦後の高度経済成長を経て、世の中はすべて利益優先になり、恥ずかしいことでも平気 でやるようになりました。心のすさみがどんどん連鎖し、日本人の顔はとても険しく、卑し くなったのを強く感じます。こうした風潮を戒めて、宮城谷氏が「晏子」の中で述べたよう に、無益なことは必ずしも無意味ではないのです。かって日本人は、そのことを深く理解し、 何事にも労を惜しまずコツコツと努力を重ね、世界から尊敬を集めていました。すべての日 本人が今一度、こうした考え方を取り戻して歩み続ければ、日本は間違いなく良くなる。と 鍵山氏はおっしゃっています。

 園児達の純な瞳にそれを見ました。是非立派に育てていかねばなりません。

 私の前の世代くらいまで庶民は、「見えざるコスト」に気を使い、将来にツケを残さない生 き方を一人ひとりが心がけていたように思います。学歴などなくとも、将来のことを真剣に 考えて対処しようとする、いわば、〃予知能力〃ともいうべきものをちゃんと備えておりま した。ところが、文明が発達して学歴社会が進むにつれて、残念ながらこの能力は次第に失 われていきました。いまでは、実際にことがおこってみるまで分らない、起こってもなお気 づかない人が大半で、さらには、気づいてもそれに気づかないふりをしている人ばかりです。 突然襲ってきたコロナ禍の時こそ、他者を受け入れる広い心を養い持つことが大切だと思 います。  将来にツケを回さないために。

              以上 掃除に学んだ人生の法則 鍵山秀三郎著より *

 

11月末は久しぶりに審査を行なった。コロナ休みで稽古が出来なかったが、少年部と年 齢を感じさせない盛年部のお二人が受け見事合格しました。少年部はクラスが上がると難 しくなるので、これからはクラスを分けて指導します、成年部の皆様にご協力お願いします。

 元気なときは勢いにまかせて稽古をしていましたが、足腰が衰え、思うように動けぬよう になると〃はて〃と思い直してみる、休みの期間はとても良い機会になりました。自粛の記 を皮切りに、また未来館が一足早く年長さんを迎えて稽古が始まったので、報告がてら毎週 のように拙文を書き始めていました。合気道を行なうための体づくり、散歩の時も歩き方の 確認、ヨガの本より身体のメンテナンス、前に読んだ合気道や武道の教本からの気づき等々、 合気道の基本は変わることは有りませんが、求める姿勢からおもむきに変化が有るかもし れません。もちろん退歩であっても進歩の先駆けと捉えたい

「春水たより212020年12月

 コロナ禍の内で、これからどのように変わって行ったら良いのだろうかと考えることが あります。

 

 世界を見渡せば、いまなお途上国のあちこちで紛争が続き、先進国内でも米中の対立が激 化するなど問題を抱えています。そんな混沌とした世の中で「人を優しくする力」を持つ日 本語こそが行き詰まった世界情勢を打開してくれるきっかけになるのではないか。という 金谷武洋氏の記事を読みました。

 

 英語の「Good morning」という挨拶は、「I wish you a good morning」(私はあなたにとっ てこの朝がよいものであるよう祈ります)が語源で、祈るという 行為 を表現した言葉で す。その為、話し手である私と相手がしっかり文章にも入っているのが特徴です。一方「お はよう」は「まだ早いですね」と共感し合う言葉です。そのため、「おはよう」には、会話 の場面にいるはずの話し手と聞き手がどちらも言葉に出てきません。二人が向き合わずに、 同じ景色を眺めながら言葉を交わしていたからでしょう。この「共感」が日本語の特徴です。 日本語は共感の言葉で、英語は自己主張の言葉であるという違いがあります。もう一つの違 いは、二つの言葉の発想、視点です。川端康成の『雪国』の冒頭に、「国境の長いトンネル を抜けると雪国であった」という一文があります。この文を翻訳家であるサイデンステッカ ーは「The train came out of the long tunnel into the snow country」と英訳していますが、 果たしてこの二つの文は同じ意味を表しているでしょうか。 日本人はおそらく、主人公が 汽車に乗っていて、まさにいま汽車がトンネルを抜けて窓の外に真っ白い雪国が広がって いく光景を想像したのではないかと思います。それでは英訳はどうでしょうか。池上嘉彦先 生が実に面白い実験をしています。英語話者に英訳から想像した情景を絵に描いてもらう という簡単なものですが、驚くことに全員が上方から見下ろしたアングルで、トンネルから 出てくる汽車を描いたのです。誰一人として、列車の中から見た光景を想像した人はいませ んでした。

 この視点の違いはなぜ生まれるのか。それは、英語には「主語」が不可欠だからだという 文法上の問題に辿りつきます。同じ富士山を見ても、日本人であれば「富士山が見える」と 表現するところを、英語話者は「Isee the Mt.Fuji」(私は富士山を見ている)と主語をつ けて話さなければなりません。誰の話か分っていても、主語がないと述語となる動詞の形 (単数形か複数形、現在形か過去形か等)が定まらず、文がつくれないからです。それゆえ 人が出てこない会話でも、「天気がいいね」と言う時は「It is fine」時間を言う時も「It is 9 o’clock」と「It」をつけなければいけなくなっているのです。こうして主語をつけることで、 物事を上から眺めるように客観化するのが英語の特徴です。そもそも、全世界には五千以上 の言語がある中で、主語が必須な言語は英語を含めわずか七つしかないのです。しかも、英 語はシュウクスピアが活躍した十六世紀前後までは日本語的で主語が不要な文法でした。 しかし次第に一人称単数が強調され、現在のような文法になったのですが、それに伴い主語 に比重を置いた考えかたになり、知らず知らずのうちに自我が強くなりました。英語話者は 自己主張が強いといわれる由縁はこの言葉に要因があったのです。主語を重要視するこの 発想は、少々危険です。主語がなければ文が成り立たないのですから、会話の中で常に「主 語」を探す癖がつきます。すると、思考が自己中心的になってしまうのです。

 

 日本語は非常に美しい言葉です。文脈上分っていることであればわざわざ口にしなくて もよいというこの文法は、まさに独自のわびさび精神そのもの。日本的な無常感を表してい ると思います。争いのない、平和な世界を実現するために、この曖昧さが必要だと思います。

 

 広島の平和記念公園の中にある慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しま せんから」と刻まれています。この一文について、「過ちを繰り返さないと誓っているのは 誰か」と様々な議論がなされているものの、「誰の過ちか」が明らかにされていないことに こそ、日本の美質と日本語らしさが表れています。他にも、沖縄県糸満市の平和記念公園に は沖縄戦で亡くなったすべての方の名前が刻まれていますが、そこには日本人だけでなく 敵であったアメリカ兵の名前まであります。これは他国ではありえません。

 ですから、日本人である私たちが自分たちの国の文化の素晴らしさ、日本語の奥深さを再 認識すること、それが確実に世界を平和にする一歩になります。また、「人を優しくする言 葉」と日本語を学ぶ人口が増えることで、人々の心が変わり、世界が変わる足がかりになる でしょう。

 

 グローバル化が加速するにつれ、国内でも英語力が重要視されています。当然、英語力を 強めていくことは急務です。と同時に、自国への誇りを持ち、日本や日本語を世界に発信す る気概も不可欠です。

 

 矛盾するようですが、外に目を向けながらも日本語という根を養う。その両立こそが自ら の運命を開くだけでなく、この混沌とした世界を平和にし、未来を明るくすることに繋がる と信じます。

 言語学者/モントリオール大学東アジア研究所日本語科元科長・金谷武洋先生が月刊誌/ 致致 1 月号に寄せた所見から明るい光を見た気がしました。失礼ながら大分省略しました のでご容赦ください。

 

 金谷先生は 25 年間務める傍ら 300 名近い学生を日本に留学に導いて来ましたが、毎回彼 らの変化に驚かされます。性格が穏和になる、人との接し方が柔らかくなる、話し方も思考 も日本人的になって帰ってくる。学生達が口を揃えるのが日本人の共感力の高さを言いま す。この共感力の高さこそが日本語の特徴であり、世界に誇るべき素晴らしい特質であるの です、と述べています。

 

 5 年前ニューヨーク、ワシントン DC、バージニア、ジョージアの道場を巡る機会があり ましたが、日本人より日本人のような人々に歓待されました。永年続けてきた合気道は金谷 先生のお説と同調していると感じたしだいです。

 

 稽古納めは 28 日(月)宮前道場です。どうぞ揃って今年を仕上げましょう。

「道場の作法 202020年12月

 稽古の始めと終わりに正面に向かって一礼をおこなうことには古来、まず 武神、流儀の開祖、それから流儀を護持してきた諸先輩への拝礼の意味がこめられている。従って武道場内では流儀にたいする非礼や不心得があってはならないというのが先人方の 感覚である。

 武道をスポーツと同列に置き、ボランティア指導者の親切に慣れて破れたり、 汚れた道衣を身に付けて憚らないのが現代人だが、心しなければならない。

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