合気道体幹作りの単独稽古Ⅰ
1. 座り方、立ち方、正座
座るとき、どちらの足から引くかについては古来、陰の足(上席から見えにくい側)から引けと教えている。立ち上がるときも陰の足の教えがあるが、右足から立てるのは攻撃姿勢に通じるから良くないという伝承もあって異論がないわけではない。しかし陰の足の教えのほうに配慮と美意識を感じる。座礼のときの手のつき方についても同様であって右手温存(遅れて出す)の心得があるが、この場合も相手に対する不信感が露骨だという批判意見がある。だがこの右手確保には人を護る意味もある。必ずしも害意や不信感に結びつける必要はないのではないか。
左足から引いて座る場合について述べると、左足のつま先が右足のかかと付近にくるまで引き、両膝を屈していって静かに左膝から床につき、両足の拇指をつけて両かかとを開き、そこへ臀部を安定させ、腰骨を起こして坐る。両手は指をそろえて膝の上に八字型に置く。上体の保持の仕方は心持ち前に倒す心得があるが、これには理由がある。
ふつう足の痺れをふせぐ効果をいうが、どうやらそうではなさそうである。不遜な感じを与えないための心得としてそう教えたようである。だからこの坐法では視線もふつうより下げさせている。うつむき加減に坐れば自然にそうなるが。
2. 礼
両手の拇指と拇指、人差し指と人指し指をつけて、三角形に指を揃え頭を下げた時、鼻の位置の畳に手の平を付き背筋を伸ばし礼をする。1,2,3 の呼吸でゆっくり元の姿勢に戻る。
3. 股関節と骨盤を意識した前屈をしてみよう
足を伸ばして前に屈折してみて下さい。両掌は畳につきますか。
✖ 腰で曲げると、骨盤が立っているのでいくら曲げようとしても床には手が届きません。
〇 股関節で曲げると、 「お尻を前に倒す」意識で骨盤を倒し、それから背中を曲げると、腰で曲げていたときとは比べ物にならないくらい曲がるはずです。
この前屈の動きから、骨盤というものが意識出来るようになるはずです。
立つ・歩く・走る
上手に立てなければうまく歩けない・うまく歩けなければ速く走れない。
立つ・ (基本中の基本)
✖ 猫背になっていませんか。
✖ 顎(あご)が上がっていませんか。
✖ お尻が落ちていませんか。
4. ○立姿の基本は足先をまっすぐ前に向ける (重心が足の裏の真ん中当りになります)
とくに中指をまっすぐ前に向けると上からの力に強く、脚もあげやすい。
○ つま先の向きと膝の向きを合わせる。
✖ つま先が閉じたりしていませんか。 (この場合、重心がつま先よりになっています)。
✖ 開いたりしていませんか(重心がかかとよりになっています)
◎ 意識してつま先(中指)をまっすぐ前に向けて立つことを習慣づけましょう。
○ つま先をまっすぐ前に向けた姿勢からジャンプするときは、体重や体の力が脚を通してまっすぐ地面に伝わり、地面から大きな反発をもらえて高くジャンプ出来ます。 つま先が閉じたり開いたりしていると、体重や体の力がうまく地面に伝わりません。そのロスの分、地面からの反発も弱いので、高いジャンプができません。
地面にうまく力を伝えて大きな反発をもらえると、ジャンプが高く跳べるだけでなく、速く走れたり、何かを押すときにも大きな力が出せます。
5. 立ち方/しゃがむ 立つ
◎ ちゃんとしゃがんでスネや足を目覚めさせよう。
しゃがむ練習をしていくと、股関節の奥の方やスネで支え、足の裏で地面に吸い付くような感覚が生まれてくるはずです。
○ しゃがめない、しゃがみ方が少しおかしいというのは、股関節やスネ、足が働くか働かないかが問題です。そして股関節やスネ、足が働くことは、しゃがむこと以外でも普段の生活や運動にとっても大切なことです。
○ 理想的なしゃがみ方は、「お尻をしっかり下に落とし、首やわき腹もしっかり落とした姿勢」です。このとき、 「肘もしっかり落とす」ことがポイントになります。
○ しゃがんだ姿勢から立ち上がるという動作も重要です。
✖ 膝に力を込めてまっすぐ立ち上がらない。
○ しゃがんだ姿勢から、お尻をグイッと前に出す→腰と頭が同時にフッと上がる。→ス ッと立ち上がる。立ち上がるときは、ヨイショと腰を上げてから頭を上げるような 2 段階でなく、「腰と頭のてっぺんが一緒に上がる感覚」がたいせつです。ポイントは動き始め。一瞬、お尻が小さな弧を描いてクイッと前に入り込んだ後に腰と頭が一緒にフッと上がる感覚を持つことです。
◎ これはどんな動作でも、全身を連動させることが重要であることを意味します。人間の体は、局所的に使うと疲れを感じやすいようですが、全身がくまなく働くと、疲れにくくなるようです。
◎ 足のどの指に力を入れるかで、膝の向きが変わる
○ 親指で踏み込み力が加わると膝は内側に流れてしまい、そのまま膝から地面に落ちる形になる。結果、膝蓋骨の損傷や、膝前十字靱帯損傷などにつながる。
○ 小指に力が入っていると、膝は自然と外側を向く。こうすることで、膝に力をかけても、内側に入らない。膝をねじることもなくなるので、膝の怪我の多くを未然に防ぐことができる。
◎足の小指はアクセル、親指はブレーキ
6.歩き方
○ 足の親指に力を入れて歩くと膝が内側に向き、自然とブレーキがかかるような体制になってしまいます。
○ 一方、小指に力を入れることを意識すると、膝は自然と外側を向くため、力が前方に働きます。基本的に小指は前へと推進させる力が働くと考えるとよいでしょう。自然と前に動くため、歩くのが楽になります。
◎ もちろん拇指も使いますが、それは前に進む動作の最後の最後です。動作の最初から親指
だと、それはブレーキなので逆に動作を止めてしまいます。 一方、小指だけだと、最後まで地面を押すことが出来ません。 最初に小指、次に親指というイメージを持つとよいでしょう。例えば歩きの場合、感覚
としては、小指のほうに意識を置いて接地し、最後は親指で蹴り出すようなイメージです。
7. 足指のグーパーで股関節のパワーを引き出す
足指がちゃんと動くかどうかは、運動やスポーツの成果と関わりがあります。
手の握り拳のように関節のグリグリが出ない足は、指先しか動きません。ギュッと握り込めないので地面を蹴る力が弱くなってしまいます。足指に力が入ると股関節にも力が入ります。足指が動かないと足と股関節がバラバラになります。「足指が動くことが股関節の動きにつながるのではないか」と考えられます。
足指をしっかり握って・・・・・グー
足指をしっかり開いて・・・・・パー
拇指を上下に開いて・・・・・・チョキ
◎ お互い向いあって足指でジャンケンをしよう。
◎ 合気道操法 入り身、転換
足の小指、拇指を使って
「基礎作りをおろそかにすると後が伸びない」と言います。では、その基礎、基本とは・・・
ウエートトレーニングは元々西洋で発達したものなので、その動作を考え、トレーニングする際には、一度西洋の人たちの身体(姿勢、感覚など)を顧みて、その身体で行う必要があります。それを現代日本の文化や生活習慣にとっぷり浸かった我々の身体が行っても、実は全く真逆の成果を得る可能性があります。
古武術が行われていた時代は、大まかに言うと明治維新以前、江戸時代ぐらいになります。
その時代の人たちは、着物を着て生活し、仕事や遊びで身体を動かしていました。その時代の人たちが考えたのが古武術ですから、その頃の文化や生活習慣を一度顧みて、その時代の人たちの身体や感覚に戻らなければなりません。
合気道稽古を行う前につかんでおくべきことは、本来身体に備わっている機能を取り戻し、大本を身につけ理解することが、心身ともに現代社会に反映されるのでしょう。
以上
合気道体幹作りの単独稽古Ⅱ
前回の復習。
そもそも体の柔らかさ、硬さとは何でしょうか。筋肉や筋の柔軟性ともいえますが、その前段階として、体の動かし方に注目して頂きたいと思います。
1.本来の体の動かし方を習得する
前回、前屈をしましたが、掌(てのひら)は床につきましたか。無理に筋肉や筋を伸ばそうとすると肩こりや腰痛、膝の痛みを招きます。こんな痛いこと嫌だ、では困りますね。
○ まず、前屈して体が曲がらないのは、テキスト 1 の足の指との関連が有ります。
ア、拇指に力が入り、膝が内側に入っていると、股関節自体も内側に力が入ってしまいます
イ、そうなると、骨盤が前に倒れなくなり、お腹のところで曲げていて、下まで曲げることが出来なくなります。
ウ、膝の伸ばしを意識すると、お尻が後ろに下がってしまい、骨盤と股関節が固定されて、下腹部に力が入り、お腹だけで曲げる姿勢になります。
エ、このような体制は、前屈するには意外と窮屈な格好です。そのため、よほど体が柔らかい人でないと、きちんと下まで曲げることができません。
オ、関節の硬さ・柔らかさは、むしろ、体の動かし方の硬さ・柔らかさの問題だと考えると良いでしょう。
○ 前屈の良い例(やはり、足の小指が重要です)
カ、小指に力を入れると、膝が外に開きます。
キ、こうすると骨盤がうまく動き、体の前側に骨盤がはまる空間が出来る感覚になります。そこにうまく骨盤をはめると股関節がひらきしっかりと体を曲げることができます。足の親指が浮いてしまうくらい小指に力を入れ、膝を外側に開けば、大概の人が床に手をつくことが出来ます。
ク、コツがわかってくると、足がまっすぐ伸びていても、膝を緩めれば骨盤は前に倒れるため床に手がつくように前屈ができます。
ケ、体の故障や怪我を未然に防ぐには、柔軟性のある体が有利だとされますが、まず、本来の体の動かし方を習得しましょう。
2,開脚をする場合(無理に足を拡げず体を倒してみる)
◎ 前屈と一緒で足指と骨盤が関係しています。
✖ 拇指が内側に入った状態だと、骨盤が前に倒れにくくなります。
✖ 拇指に力が入り、内側に向いてしまうため、膝も同様に内向きになり、骨盤が固定されお腹だけで曲がるような窮屈な開脚の前屈となり、手を床につくことが出来ない。
○ 膝を外側にして骨盤を解放する。
○ 小指に力を入れ、外側を向いていれば、自然と膝も外側を向く。
○ 骨盤がしっかり前に倒れて、割と誰でも肘位までは床につくことができます
くどいようですが、膝が内側に向いてしまうと、骨盤や膝が本来もっている動きを活かしきれず、可動域を狭めてしまいます。
かつて日本の大半の家庭はトイレが和式でしたが、膝を外に開いて上手に使っていました。現代の日本人の多くは膝が内側に入った状態で、しゃがむのが大変で、足もしんどくなるため、結果用を足せなくなります。それは膝が使えなくなったことが一番の原因ともいえます。しかし、膝が外側を向いていると楽にしゃがむことができます。膝が外を向いてしゃがみ切った体勢は、一番踏ん張れる体勢でもあり、様式トイレに足置台を設置すると、ここに足を乗せると、膝が骨盤より高い位置に来て、膝が外側に向いた姿勢になります。こうすると一番体幹に力を入れることができるため、楽に用をたすことができます。
3,歩き方(足の指を意識)地面との着地はまず、小指を意識する
歩く動作も普段から何も意識せずに行いますが、以外と体に負担をかけた歩き方をしている場合も有ります。 これまでの復習として
○ 着地後に早い段階で拇指側に力が入ると、膝は自然と内側に向き、前に進もうとする体の動きに対して、力の方向としてはブレーキのように作用します。
○ 結果、膝が内側に入るので、内股で歩いているようなイメージとなり、一番膝に負担がかかるような歩きになります。
○ かかとから地面に接地し、つま先で蹴り出すという動作を教える事がありますが、これはベタ足のように重い歩き方になり、膝や足首に大きな負担となります。かかとから着地するためブレーキが大きくなり、そのぶん、無駄な動作をしてしまうことにつながります。
○ 歩き方の基本動作は、背骨を積み上げ、天と地のバランスが保たれた状態を作ることから始まります。
この状態から、そのまま体を前に傾けると、倒れないように足の拇指に力が入ります。
○ その拇指の力をすっと抜くと、体はさらに前へと倒れ、転ばないように足が勝手に前に出てきますので、自然かつ楽に歩くことができます。
○ イメージとしては小指側、つまり足の裏の外側で最初に着地しようとする感じです。
○ 最後の最後に地面を蹴り出す時は、拇指も含め、指全体で地面を蹴ります。きちんと拇指を使うことも大切です。
4.入り身、転換を右左と10回、20回と稽古します
課題としての転換の場合
右半身では右前足を進め、後ろ左足を開いて、向きが180度入れ替わります。この場合、これまでの学習から、右足を踏み込む足先はやはり小指を作用させたほうが、良いのではないでしょうか。また、踏み込んだ右足を軸に、左後ろ足を開きますが、まず軸にした右足を、左にたたむ意識を持ち、左後ろ足を引くとコンパスのように弧を描くこともなく、直線で引く事ができるでしょう。
以上
座り、立ち方の復習と間合いについて
~~~ 未来館お知らせと指導要項 (6)より抜粋 ~~~
座り、立ち方の復習
正座(足の拇指をそろえて、腰を据える)腰骨を立てて坐り、手の指も揃えて、両手を八の字に膝上へ置く。両足のつま先を起こし、陰の膝を立て、立ち上がる。 陰とは、正面、正客から見えない方、言うなれば心配りが出来ているかどうかを問うている。武家の習慣から言うと刀は左に帯びているので、右足から立つとは、刀を抜きやすい姿勢になるので、敵意を示すとされて、不作法とされた。右手温存も同じですが、いまは時代が違いますが、気配りを失っては元も子もありません。
合気道は護身術として、目を見張るような技を身につける事を目的としてはいません。礼を失することで、自分の身に害が降りかからないために、極めようと修行しているので はないでしょうか。武道が「礼に始まり、礼に終わる」という由縁でしょう。 もちろん稽古を続ければ、心も体も強くなります。 今様に解釈すれば、利き手を温存する事は、いざという時、自分のためではなく、人助 と考えたいものです。
正面に礼をするときは、両手を揃えるのは当然ですが、お互いに稽古を始める時は右手温存が良いでしょう。こちらの心が伝わっていなく相手が顔をしかめたら、いまだ至ら い自分であったかと、更に修行を努めていかねばなりません。
間合い
最近感染予防対策として広まっている「ソーシャル デイスタンス」 、人と人との物理的距離を保つこと、武術では「間合いをとる」と言います。技を生かすのも殺すのも間づもりひとつだからです。転じて価値観、考え方、感覚、行動などすべてが自分と違う相手とも付き合うことを可能にする方法を探すとすれば、そのうちの有力なものの一つが、相手と密着しない「間合い」の心得でしょう。対人作法の基本概念は他人との間の「距離」の認識である。なんのための「距離」かというと、礼の場合は他人に不快を与えないためであります。突然、唐突、直接の接触が非礼になるのは、相手に選択の余地を与えないからです。
攻撃や防御のために相手との間に適正な距離を置いて対峙する武術の心得は、使い方を変えればそのまま「礼」の心得になるのです。敵を倒すための「間積もり」が使い方次第で人に不快を与えない、人をいたわるための作法に転化するのです。
剣では、相手の間合い「領分」に踏み込めば、斬るか斬られるかのいずれかになる。互いに一定の間合いを保っていれば、勝負はつかないが、なんとか共存できる。これでは武術にはならないが人生では、共存できるなら、これは隣人との付き合い方の知恵ではないでしょうか。 「誰とでも仲良く」とか「隣人を愛せよ」というが、至難のわざであります。人と人とは愛し合わなくても「共存」できれば上出来なのだ。 「理解」さえも必要ではない。理解は誤解の別称だという意見もある。尖閣諸島や日本を取り巻く諸問題から家族や社会の出来
事までも互いの存在をゆるして、不介入を維持できればこれを天国と呼ぶのではないかとさえ思う昨今であります。
武道の間合いは相手を倒すための心得だが、礼の間積もりは人の気持ちをそらさず不快を与えないための心得である。 「間」についての武道の厳しさを、人に不快をあたえない対人作法に役立てる。すなはち、礼を失すれば身を危うくする。と言うことでしょう。
挨拶について
~~~ No,2031 2020 年(葉月)春水便り 7より抜粋 ~~~
礼儀作法をなまじっか知ると、他人の不作法や不心得が気になり、気難しい厭味な人間に 成りかねないので注意しましょう。古人は「礼は道の華にして乱の首(はじめ)なり」と 言っています。
最近では挨拶も「こんにちは」だけで終わり、あとは何も続かない。この言葉の貧しさは いったいどうしたことだろう。日本人の挨拶にかってのようなエスプリと香気がなくなってしまった。日本人の精神の貧しさを示すものなのか。
「こんにちは」 「さようなら」と挨拶します。会ったとき、別れの時に交わす言葉と決められているからですか。では、 「こんにちは」でなく「あいうえお」と決められていたら、 「あいうえお」「あいうえお」と挨拶する事になりますよ。そんな事はないですね。どういう意味があるのでしょう。
英語で「さようなら」は「グットバイ」です。「グットバイ」とは、もとは「ゴットバイ」です。 「ゴット」とは神様で、「バイ」はそばにという意味です。だから「グットバイ」と挨拶をするのは、神様よ、あなたのそばにいて、守ってくれますように、そしてもう一つ「シー、ユー、アゲイン」また会いましょう」「グットバイ」には「また、元気でお会いしましょう。それまで神様があなたを守って下さいますように。」そのような意味が有るのですね。
それでは、日本語の「さようなら」にはどのような意味があるのでしょう。
「さようなら」という言葉の意味には、けっして「グットバイ」に劣らない日本人の心がしっかりこもっている素晴らしい別れの挨拶なのです。
同じように「こんにちは」の意味も知りたいですね。
しかし何故このように肝腎なことを最近では適当に過ごして憚らなくなったのでしょうか。明治以降ヨーロッパの真似ばかりして、また、敗戦によって日本人の心を失ってしまったからなんでしょうか。これでは、いかに経済的に肥っても、いつかは崩れてしまいます。
その前に日本人を知る必要があります。日本人て何ですかと聞かれたら?
イギリスに行ってイギリス人て何ですか、と学生たちに聞けば、イギリス人とはジェントルマンシップを持っていることです。と答えますよ。フランスに行って、フランス人とは何かと聞けば、フランス人とはボンサンス(良識)を持ち、フランスの文化や伝統について深い理解力を持っている。これがフランス人ですと。ドイツに行って学生に聞けば、ジャーマンスピリッツを持つことです。ジャーマンスピリットとは社会の良いことについては、喜んで賛同し、悪い面については力をあわせてこれを改革すると答えるはずですよ。そこで日本人とはなのですが・・・長くなりますのではしょりますが、 私たちの民族は、古代から太陽を自分の生命のもととして大切にしてきました。休む事もなく心臓が動いているのは、太陽電池を採れるレーダーの働きをする物質が心臓付近にあることが研究されてきているくらいです。2000年も前から、日本人は感覚的に気づいていたのです。実はそこから「日(太陽)の本」という言葉が生まれ、の が抜けて「日本」という国名になりました。国旗もそうです。真ん中の赤い○は太陽を表しています。
日本人とは「昔から私たちの命の原因が太陽だと知って、その太陽に感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる、これが日本人です」これが答えです。
富士山に登ると皆一斉にご来光を拝みます。元旦にもご来光を拝みに行く人もいます。
アメリカ人のラフカディオ・ハーン、日本という国の原点を調べるため出雲の松江中学校の先生になりました。夜明け前に塀の外で大勢の人が集まっている。やがて山から太陽が昇ったとたんに、みんな太陽に向かって「きょうも一日お願いします」とパチパチと手を打ってお祈りしました。太陽からの恵みに感謝して生きるという心のバックボーンを持っている日本人にすっかり心を奪われ、 「世界にこんな素晴らしい国民はいない。私はここの国民になる」と言って、小泉八雲という名で日本に帰化するのです。
夏目漱石の小説「坊ちゃん」の中にも、「そんなことをしたら今日様(太陽)へ申し訳ないがなもし」というセリフがありますね。
昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様(こんにちさま) 」とよんだのですから、 「今日 こんにち は」という挨拶は、 「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。 「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味ですから、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、 「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒に明るく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。それを受けて、 「はい、元気です」と答えます。 つまり、 「はい、太陽さんと一緒に元気で生きていますよ」と応答するわけです。それから、 「さようなら(ば) 、ご機嫌よう」となります。 「機嫌」とは、 「気分」とか、 「気持ち」という意味です。したがって、 「さようなら、ごきげんよう」の意味は、 「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。
「今日は、お元気ですか」
「はい、おかげ様で元気です」
「さようなら、ご機嫌よう」 これがわたしたちの挨拶の基本だったのですね。
昔は「さらば、ご機嫌よろしう」とか「さようなら、ご機嫌よう」と全部言って別れたのですが、今は大半の男女が「さようなら」というつなぎの言葉だけを言って別れいつの間にか、その意味がわからなくなったのです。
【以上は以前聞いた境野勝悟先生の講演やご本を参考にしました。 】
「きょうは、太陽さんと一緒にやっとるかね。」 「おかげさんで、太陽さんと生きていますね。ありがとうござんす」 「そんなら、気分は上々だぁーね」まことに気分さわやかな挨拶ではありませんか。
最近では、どこそこで40度を記録しました、熱中症に気をつけて、水を飲みましょう、エアコンをつけましょうと危機感を煽っているような報道が毎日ですが、かっては、太陽に畏敬の念を持つ日本人の素晴らしい心を世界に発信して行かなければならないのに、紫外線はコロナウイルスをやっつけます。海水浴に行きましょうなんて報道はないのでしょうか。今日様に感謝して生きていた昔の人には熱中症なんて無かったのでしょうね。
無限の美は、鬱積 うっせき して、噴出の通路を求めている。あたかも灼熱 しゃくねつ した溶岩が、厚い岩盤
の下、大地の心に堆積して、噴出の機会を待っているように。
礼法
~~~ No,2043 2020 年(長月)春水便り 11より抜粋 ~~~
武道の稽古は「礼に始まり礼に終わる」といわれます。
では「礼法には武道の極意がある」 と聞いて感ずるところが有るでしょうか。お互いに礼を交わす時の「自然な動作」には大 きな力を発揮する可能性が秘められているように思われます。その動作を意識して行お うとすると自然な動作でなくなり、力を発揮する事が出来なくなります。人間の身体は本 来、非常に大きな力を発揮する能力を秘めています。その力を引き出すには、「自然な動 き」を意識せずに行う事が重要になります。筋力トレーニングでは得られるものではないようです。
よく「火事場の馬鹿力」普段には想像できないような力を無意識に出すことのたとえ。や 寝たきりの人が、地震がきてひとりで飛び起き逃れたなど聞きます。 武道の稽古は「心身一如」心と体の調和をはかり自然の動きを鍛錬し命を輝かせるのです。